え~、短大卒業できないかも?後編

昨日の続きです。


卒業旅行を目の前にして、短大から追試の知らせが。

旅行はキャンセルか?

卒業できるのか?

本当に最後の英語の試験で赤点だったのか?

それを確かめるべく、英語の教授へ会うために

アポを取った私。



アポ当日、教授にオフィスにて。

私の名前を確認したあと、ファイルをチェックする教授。

ほんの5秒くらいだったのだが

時間が止まったかと思うほど長かった~。

そして、審判が下った。

ちらりと書類を見た教授は、にこりともせず

「あ~、君、赤点だね。

追試を受けるように」

え゛ーーーーーーー!と泣き崩れる私。

・・・・・というのは真っ赤な嘘です。嘘。

Just kidding.



実際は

「ちょっと待ってくださいね。

ええと、かよさんね。ああ、大丈夫ですよ。

試験通ってます」

「・・・え?ということは、追試を受けなくてもいいと

いうことですか?」

「そうですよ」


・・・・おおお、教授に後光が・・・・・

カチカチに固まっていた私は、大きな安堵のため息をついた。

そして、今日はお忙しいところを申し訳ありませんでした

と言って、オフィスを出た。

やっぱり~!私通ってたジャーーーん!

旅行に行けるー!

追試受けないで、卒業できるー!

と、ルンルンで帰路についた。



このことは、その後、自分の中では武勇伝として

記憶に刻まれたのだが、しばらくするとすっかり忘れてしまい

卒業後何年もたってから、ふと思い出した。

(私、本当に試験通ってたんだろうか。

もしかして、もしかして、教授に情けをかけてもらったのかも。

そいういえば、教授がファイルを見る様子とか

私への話しかけ方が、なんか演技してるっぽかった

(ような気がする)。

本当は、赤点だったのに、通ってますよ

って言ってくれたんだろうか)



さっき、武勇伝、と書いたけれど

実際は、もしかしたら、と心の奥底で思っていたんだと思う。

長い間誰にもこのことを話すことはなかったし。

今となっては、ミステリー。

教授の名前もすっかり忘れてしまった。



そうそう、この話をブログにを書こうと思った時に

ネットで同じような経験をした人がいるかどうか調べてみた。

すると、単位が足りず、卒業が危うい学生が、まず学生課に

そして教授にかけあう、というのはよくあることらしい。

ただ、成績が発表されてしまった後に

評価を変更してもらうということは、まれであるとも書いてあった。

学校側がミスをしたということを認めることは避けたいらしいとも。



これを読んで

ああ、私ったらなんてラッキーだったんだろう、と思う。

教授!

間違いを認めてくれて

OR

温情措置をしていただいて

本当に、本当に、ありがとうございました。

今は、赤点だったかもしれない英語を使って

アメリカで働いてますよ~。

ああ、この思いを直接伝えられないのが残念だなあ。

ちょっと恥ずかしい思い出でした。





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え~、短大卒業できないかも?前編

昔、むかーし、私がまだ短大生だったころの話。



短大の後期試験もすべて終え

就職先も決まっていて

卒業式、謝恩会、そして友人のFみとの卒業旅行を控え

家でのんべんだらりとしていたある日

一通の知らせを受け取った。

それは、通っている短大からだった。



何だろう、と思い軽い気持ちで開けてみると

なんと!

追試のお知らせだった!

はっきりいって私は不良短大生で

試験前にしか勉強しないような

優秀とは言えない学生ではあった。

でも!でも!!

赤点ですか~~~!?

そんなもん、今まで取ったことないし!



え~、うそ~、本当~?(←当時よく言ったよね?同世代の方?)

とか言ってる場合ではなく

これは受けないと卒業できん、と腹をくくりかけて読み進めると

その追試の日は、卒業旅行の日程のど真ん中!

え~、どうするの~?

旅行先はシンガポール・マレーシアなのに~。

飛行機のチケットだって購入済。

一瞬、試験を無視して、旅行へ行ったら?と考えた。

そりゃ、もちろん、短大3年生に突入。

就職先へもお断りを入れ。。。

親に頭を下げて、もう1年通わせてもらう。

なーんて、もちろん却下、却下。



あまりのショックに頭は真っ白になるし

心臓もばくばく(笑)

そんな自分をようやく落ち着かせて、考えてみた。

(ふーむ、追試の科目は英語。

あの試験、楽勝と思いながら受けた記憶があるけど

実際は、赤点を取るほど悪かったのか?

そんなはずはないけどな~。

でも、そんなの的外れの自信で、実際ヤバかったのか!?)



そして、出した結果は、学生課へ問い合わせること。

自分では赤点を取ったとは信じられず

実際何点取ったのか、採点ミスということはなかったのか

聞いてみることにした(はい、失礼な学生です。でも、もう、必死 笑)。

すると、学生課の人は、そのクラスの教授に聞かないと

わかりません、教授に直接聞いてみてください、と仰る。

その後の記憶はあやふやなのだけれど

確か、電話番号を学生課からもらい

ドキドキしながら教授に電話をかけ、アポを取り

彼のオフィスへ訪ねていくことになった。

とりあえず会ってもらえることで、第一関門突破。

心の底からほ~っとした。



そして、そのアポの日。

教授のオフィスの様子はあまり覚えていなくて

何となく薄暗かったような記憶があるだけ。

教授は私の名前とアポの用件を聞くと

机の上に出してあったファイルを開け、ちらりと見た。

その間、私は

(いやいや、絶対赤点のわけがない!)という自信と

(あ~、本当に赤点だったら、どうする~)という心配のはざまで

大揺れ。



そして教授が口を開いた。


続きはまた次回~!




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娘と髪とトラブルと

夕べ、ダイニングルームの壁に飾ってある鏡を見た娘が

Wow!と大きな声を出したので

どうしたの?というと

この前髪、むかつく、だって。

彼女の髪はカーリーではないけれど

かなりのくせっ毛。

特に顔の周りの髪の毛はうねうねしていて

湿度が高いと、くるん!としてしまう。

それで、彼女がまだ小さい頃のことを思い出した。



彼女は小さい頃、自分の髪の毛を触られるのが嫌いだった。

うんざりするほど、たくさん髪の毛があり

くせっ毛だったのも手伝って、髪の毛をとかすのが一苦労。

とかすたびに、泣いたりわめいたり悪態をついていた。

今から思えば、それがトラウマになったのかしら?

せっかく可愛いポニーテルにしたり、リボンをつけても

人が見ていないすきに取ってしまい

母はいつも残念で、ため息ばかり。




小学校に入ってからも髪の毛とのバトルが続いていて

お風呂上りの髪の毛をとかす時間は

彼女にとって、大っ嫌いなひとときだったに違いない。

しかし、子供の髪の毛って何故あんなに絡まるんだろう?



そんなある日、彼女を見ると何か微妙に変。

間違い探しをするように、まじまじと見る私に

彼女は目をキョロキョロと泳がす。

あ゛ーーーーーー!

娘ったら、いつもくるんとなる前髪の一部を

限りなく根元に近いところで、ぱっつんと切っていた。

そんなことしても、またくるんとした毛が生えてくるよ

と怒りつつも、笑いがついこみ上げて困った。



このヒトは、この他にも、こっそり何かを手にしてトラブル

ということがよくあった。

髪の毛関係では、もうちょっと短くしたいなと思ったらしく

ポニーテールにした髪の毛を、ぷっつんと切ったこともある。



もっと小さい頃(2歳くらいかな)には

実家に遊びに行っていた時に、娘の姿が見えないので

あれ、あの子はどこかな?とふと思い

二階へ探しに行ってみると

何故か、火のついたマッチを持って、ぼーっと立っていた。

慌て吹き消したけれど

もし、私が彼女を見つけてなければ

実家は丸焼けだったかも…!

しかし、2歳の子がマッチの擦り方を知ってるなんて

思いもしなかったわ。



あと、もうひとつ焦ったことは

昔猫を飼っていたのだが

ある夜抱っこしていていると、むむ?何か変。

よーく見てみると、ひげが妙に短い。

はー、とため息ひとつついて、もちろん、娘を呼び出す。

この頃はシングルマザーで娘と二人暮らしなので

彼女以外にホシはいないからね(笑)

ひげのない猫は日常生活をちゃんと送れるのかと心配し

獣医さんに電話したら

くすくす笑いをされ、大丈夫ですよ。

もしかしたら、ふらふらするかも知れませんが

そのうち伸びますよ、とのことで

ほっとした覚えがある。



今は、さすがに分別がついて、そんなことはしないけれど

(当たり前か 笑)

いまだに“くるん”が大嫌いで悪態つくのは同じ。

大抵、毎朝ストレート・アイロンで髪の毛をストレートにして

出かけているけれど、雨が降ったり、湿気の高い日は

うねうねの髪の毛になって帰ってくる。

それでも、最近はそいういう髪の毛だと受け入れたのか

ストレートにしない日も増えた。

くるん、でも可愛いよ、娘ちゃん。


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9.11が起きた時

9_11_never_forget.jpg
アメリカで暮らしている方なら、

12年前の今日、アメリカ同時多発事件(9.11)が

起こった時、自分が何をしていたか

今でも鮮明に記憶しているのではないだろうか。


私もその1人。

2001年8月の始めに息子を出産し

マタニティ休暇中だった私は、

上の娘を学校に送って行った後、

当時住んでいた家のリビングルームのカウチに座り、

1ヶ月になったばかりの息子を抱っこしながら

朝のニュースを見ていた。

そこで入った緊急ニュース。

最初は、操縦ミスかな?と思って観ていたが、

その内、二機目の衝突が報道された。

そこで、事態の深刻さに気が付き、

その後一日テレビに釘付けだった。


その時、息子は生後5週間。

30代半ばでの出産そして産後は予想外にきつく、

産後6週目に日本から母が来るのを指折り数えて待っていた。

何故産後6週目かというと、

出産後すぐに手伝いに来てもらうことも考えたが、

私が7週目に仕事へ復帰する際に

母に家事を手伝ってもらえたら助かるのではと考えたため。

息子を託児所に預けるのを1ヶ月遅らせたいの思いもあった。

寝不足でボロボロだったけれど、

もうちょっとで、お母さんが来る!

というのが私にとって馬の鼻先のにんじんだった。


結果を先に言えば、母が来ることはなかった。

母は、旅行代理店から事件直後何回もの

「本当にこの時期にアメリカに飛ぶのですか」という

確認の電話(夜中にもかかってきたそうだ)に悩み、

渡米を諦めた。

今考えれば、事件の翌日から他の飛行機にてのテロは

なかったが、その時は、まだ何が起こるかわからない状態。

その連絡が母から来たときに、

私は、頭ではわかっていても

妊娠中からずっと楽しみにしていた母の訪問が

なくなったのは本当にショックだった。

多分、これが産後うつの始まりだったかもしれない。


結局、息子を預けることになっていた託児所に

事情を説明し、早めの受け入れをお願いし、

旦那にも協力を請い、何とかなったが、

今思い出してもちょっと悲しくなる。

こんなことだったら、

生まれてすぐ手伝いに来てもらえばよかった。

こんな悲しみなんか、事件で家族を亡くした人のそれに

比べたら、本当にちっぽけなんだけど。


今朝出勤したら、

9.11事件で最初の飛行機が世界貿易センターに

衝突した時間で止められた時計と、

「Never Forget 9.11」の小さなポスターが通路に飾ってあった。

私の隣のキューブの同僚が持って来たという。

私も3.11と同じように、この事件は生きている限り忘れないだろう。

この事件で犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。





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すみません、初心者です。

本題に入る前に、今日のまぬけ話。

さっき、友人ののりPからLineのメッセージが入った。

「今、ケンタッキー」

私は、うちから近いKFCへチキン買いに来たのかなと思って、

「テイクアウト?バフェ?」

(日本のKFCはどうか知らないが、アメリカでは

バフェ(バイキング)があるKFCもある)

と聞いたら、

「ケンタッキー州だよ!」と返事が。

・・・・そうだった、彼女一家は旅行へ出かけたんだった。

しばらくすると、別の友人からLineが。

「テイクアウト?バフェ?」

ったく、何も考えず人と会話をすると、

こういう目に遭うのである。


Road.jpg

では、今日の本題。

私が日本で免許を取ったのは確か短大2年生のとき。

うちでは父も母も運転しなかったので、

小さい頃から、普段のメインの交通手段は自転車。

病気になり医者にかかるときはタクシーを呼んで、

という環境で育ったので、

私にとって車はどこでもドアのようなものだった。


当時の私は若いだけあり、恐れ知らずだった。

関東近郊の実家から、東京へもよく走らせたし、

遠出もした。

地図を見て、その通りに運転するのも楽しかった。

そんな免許をとってしばらくした頃にあった

私にとっては忘れられない事件がある。


免許をとった年の夏、サークルの仲間と

仲間の1人の実家がある下田へ遊びに行った時のこと。

その時は、D君が彼の車を運転し、

私と、もう2人の計3人が同乗した。

出発は深夜。D君の住む埼玉を出発、

予定では朝には下田に着くはず。

朝には海が見える!とテンションが高いまま

東京、神奈川とひた走る。

実際、どのルートで行ったのかははっきり覚えていないが、

神奈川か静岡あたりで、どこかの山を越えた記憶がある。

その急な坂道にさしかかる手前。

そこで事件は起きた。

さっきから、D君、静かだなあと思っていたら、

「ああ、眠い、もう運転できない!

お願いだから運転替わって!」

という。

私は、とまどった。

なぜなら、彼の車はギア車だったのだ。

私は免許はギア車で取ったものの、私の車はオートマ。

ギア車なんて、ずっと運転していない。

「ええ、無理だよ~」

とプロテストしたものの、彼の眠気は

限界に達しているらしい。

他の2人はというと、免許さえ持っていない。

仕方なく、次の信号で替わった。

そして、替わった途端、道の勾配が増してきた。

私にとって不幸だったのは、

それが朝の出勤時間だか何だか知らないが、

なんと、渋滞している。

運転する方なら理解いただけるだろうが、

ギア車の坂道発進は、慣れてないと難しい。

私も、前に進もうとするが、後ろへじりじりと下がるばかり。

後ろの車にぶつかったらどうしよう、

とパニックになり、ギアをパーキングに入れ、

サイドブレーキをかけ、

熟睡しているD君をゆり起こす。

「ちょっと運転替わって!!後ろの車にぶつかっちゃうよ!」

すると、彼はがばっと体を起こし、問題を把握すると、

座っていた助手席のドアを開けて外へ出た。

ああ、よかった、替わってくれるんだ、

とホッとする私。

でも、何故か運転手側へ来ず、トランクを開けている。

????の私。

そして、また助手席側のドアから車へ戻って来たではないか。

「これで、大丈夫」

「え?運転替わってくれないの?何が大丈夫なの?」

という私への答えは、

なんと、

初心者マークを張ってきたから大丈夫」

はあ?

言葉を失う私。

文句を言おうにも、彼はすでに眠ってしまった。

そのあとは、気絶でもしてたのか、どう運転したのか

思い出せもしない。

次に覚えているのは、下田に近い海岸沿いの道を

海を左に見ながら、走っている光景。

全員、五体満足で到着したときは、

心の底から、安堵のため息が出た。


今思い出すと、笑ってしまうのだが、

その時は、本当に死ぬかと思った思い出です。





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