悲しいニュース

今日、旦那のおじが亡くなった。

1月1日に誕生日を迎え、90歳での往生だった。

私は彼と数回しか会ったことはないが

それでも、なんというか

会った途端、懐かしさを感じる人が時折いるが

彼もそんな1人だった。

背は私と同じ位で低く

普段は言葉が少ないけれど

目がいたずら好きの少年のように

いつもキラキラしていた。

そんな彼に末期がんの診断が下されたのが先月。

余命1ヶ月という宣告だった。



彼はドイツ移民の夫婦のもとに5人兄妹の

次男として生まれたが

彼がまだ若いころ、第二次世界大戦中に

戦闘機の射撃手として

両親の母国であるドイツに派遣された。

そこで彼の乗った戦闘機が撃ち落とされのだが

奇跡的に助かった。

助かったがドイツ軍の捕虜となり

収容所で終戦まで過ごした。



終戦後、彼は妻とフロリダに引っ越し

郵便局で長く働き、郵便局長の座を定年退職。

妻が亡くなったあとも1人で

フロリダに住み続けた。

いつも暖かく太陽の降り注いでいるフロリダを

ホームと呼んでいた。



彼にはいくつかの逸話があって

ひとつが New Year Baby(元旦が誕生日)

ということで大晦日から元旦にかけ

おむつ姿で仲間と飲み歩き

カウントダウンにあわせ

銃で街灯を撃ち抜いた、というもの。

(ギャングとかじゃないですよ!)

彼は町でも有名人だったらしく

警察もその時は見て見ぬふりをしたそうな。



そんなクレイジーな彼も

年とともに少し落ち着き

フロリダで悠々自適の暮らしを送っていたが

12月のある日体調が優れず医者にかかると

癌の診断が下った。

それでも医者はそれが末期であること

そして全身に拡がっているという告知を

彼の妹(旦那のおば)がフロリダへ

行くまで待ってくれたという。

高齢で、周りに家族がいないことを

配慮してくれたらしい。

アメリカにもこういうお医者さんっているんだ。



その後は、やはり家族のいるシカゴで

最後を迎えるのがいいのでは、ということで

おばの家へ引越しの案が出た。

おばはアメリカでは珍しい

3世代同居。

常に誰か家にいるという環境であるし

訪問看護師に来てもらうということで

話は決まり、おばの手を借り引越しとなった。



私達も引越し後に

暖かいひざ掛けを持って会いに行き

訪れていた旧友と楽しそうに会話するおじを見て

ほっとしたものだ。

しかし、シカゴは例年にない寒さ。

一旦は落ち着いたかに見えた彼も

ここは寒すぎるし

自分のホームではない

フロリダに帰りたい

自分のうちで死にたい

と毎日おばに訴えるようになった。

そこでおばもそこまで言うならと折れ

彼をフロリダへ移すことにした。



フロリダへ飛んだのは先週の木曜日。

今回の引越しに伴い

おばは、自分の息子夫婦と共にフロリダへ行き

3人で介護をすることになった。

ファーストクラスで飛んだとはいえ

寒い中、体の衰弱しているおじには

旅が相当堪えたらしく

着いた途端寝たきりになってしまったという。



そして今朝おばからテキストが来た。

夕べに容態が急変して今はもう意識がない。

だから覚悟していおいてね、と。

そしてそれから3時間後

おじが亡くなったという連絡を受けた。

自分のホームで死ねて

幸せだったんじゃないかしら、とう言葉とともに。



彼がフロリダへ引っ越す前に

私達はもう一度彼に会えたのだが

その時の彼はやせ細っていけれど

まだ自分で歩けていて

おみやげに持って行った

Kringleというデザートをほおばり

おいしい、と笑っていた。

彼の目は病気のせいか

涙でうるんでいたけれど

まだキラキラしていて

お別れをするときも彼は

優しい笑みを絶やさなかった。

その笑顔忘れないからね。

We will miss you, Uncle Harry!



いつもありがとう。
     
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